「人は何歳からおじさんやおばさんになるのか?」新しい挑戦ができないと悩むあなたへ【沼田和也】
『牧師、閉鎖病棟に入る。』著者・小さな教会の牧師の知恵 第12回
なぜ人を傷つけてはいけないのかがわからない少年。自傷行為がやめられない少年。いつも流し台の狭い縁に“止まっている”おじさん。50年以上入院しているおじさん。「うるさいから」と薬を投与されて眠る青年。泥のようなコーヒー。監視される中で浴びるシャワー。葛藤する看護師。向き合ってくれた主治医。「あなたはありのままでいいんですよ」と語ってきた牧師がありのまま生きられない人たちと過ごした閉鎖病棟での2ヶ月を綴った著書『牧師、閉鎖病棟に入る。』が話題の著者・沼田和也氏。沼田牧師がいる小さな教会にやってくる人たちはどんな悩みをもっているのだろう? ほぼ同い年のあるおじさんとの対話を通して感じた、年を重ねても未知なる冒険に挑戦するということとは?
ずっと関わり続けている男性の話をしよう。その人は2年ほど前であっただろうか、初めて教会にやってきた。わたしと同い年くらいなので、おじさんである。礼拝にも時々は来るが、むしろ平日、仕事が早上がりした後に、彼はやってくる。紆余曲折を経て、今は独り身である。つらいこと、苦しいこと……ときどき教会にやってきては、彼はわたしに話してくれた。バナナやキャベツ、だしの素なんかを差し入れしてくれたこともある。
そんな彼が最近、若いころからずっとやりたかったことを始めた。それがあんまり嬉しいので、ほんとうは詳しく書きたくてうずうずしているのだが、プライバシーのこともあるし、我慢する。とにかく彼は、若い頃にいったん諦めたことに、かたちは違うとはいえ、もういちど挑戦し始めたのだった。いや、それはもはや「再」挑戦ではない。今よりも自由がきいた若い頃とはやり方も違うし、年齢すなわち積み重ねてきた記憶も違うという意味において、今回のことはまったく新しい、未知の冒険である。だからこそわたしは、このおじさんの取り組みを心から応援したいと思う。
わたしは今49歳である。彼も同じくらいだ。そういえば、わたしは何歳からおじさんになったんだろう。とにかく今はどう考えても、自分のことを若者と呼ぶのはおかしいと感じる。じゃあ、何歳からわたしは若者ではなくなったのだろう。ひきこもりを脱して、ようやく牧師という仕事に就いた、32歳の春のことだろうか。世話好きの知人に紹介されて、お見合い結婚をした34歳の春、わたしはおじさんになったのか。だがあの頃はまだまだ、自分は若いと感じていたように思う。
昔の人なら、そう、たとえばわたしの父なら、わたしを含めた子どもたちが生まれ、母と共に子育てに責任を持つようになったとき、自分のことを少なくとも父親と思うようになっただろう。記憶のなかにある父はたしかに若々しかったが、若づくりはしていなかった。父は自分のことを若者とは感じていなかったはずだ。わたしには子どもがいないので、そういう通過儀礼的なものがない。ただ、はっきりと自分がおじさんであると自覚した時期がある。それが、精神の調子を崩し閉鎖病棟に入院した、42歳の初夏のことであった。わたしは病棟内で43歳の誕生日を迎えた。詳しいことは拙著『牧師、閉鎖病棟に入る。』に書いてあるので割愛するが、要するにそこでわたしに要求されたことは、これまでの思い込みを脱すること、価値観を方向転換することであった。そしてその際に重要だったのが、「いろいろ諦める」ことだった。この諦めるという作業をとおして、わたしは自分が年相応のおじさんであることを自覚するようになっていったのである。
もっと若い頃に精神障害があると分かっていればよかったのにとか、あの頃に分かっていればこうすることができたとか。もっと早く治療を始めていればよかったとか。40代にもなって入院したわたしは後悔ばかりしていた。40を過ぎて今さら自分の価値観を変える? そんなことできるのか? いったいどうしろというのか。同世代の友人知人を思い浮かべれば、みんな会社や家庭ですっかり落ち着いていた。彼ら彼女らはこれまでの価値観を変えるのではなく、さらに深めていく時期にさしかかっていた。ところがわたしにはそれが許されていなかった。わたしは生き延びるために一から自分を見つめ直し、再構築する必要に迫られていたのである。
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